
| くれた。私はナブ子さんのスキャットが好きだ。 ピアニストのラリーさんは学校ホールでいつもは3重鍵で一般には使わせていない素晴らしいグランドピアノが弾けて興奮し、素晴らしく良い音で歯切れと乗りの良い実力のピアノを聞かせてくれた。二人の息も合ってゴキゲンなコンサートだった。 主催者として鼻が高い。 今回ナブ子さんとラリーさんがニューヨークから来てくれた事については、勿論自分が相当頑張ったと自負もあるが、刑部さん、稲田さん他多くの友人・知人に半分以上助けられた事を今深く感謝している。 この際だからおまけのあとがき その1.ナブ子さんとラリーさんに気持ちよく公演して貰う為に、ヒューストン滞在中の面倒を見ることも大事な事。 ナブ子さんを構ってくれる男どもはいくらも候補がいるが、ラリーさんにはどうしたものか、日本語に取り巻かれてラリーさん、疲れるだろうし、面白く無いだろう... 丁度我が社に音楽好きの熟年独身女性がいるので、お願いしてKでのコンサートやフェスティバルに来ていて貰った。ところが、ラリーさんは小柄でナイーブなニューヨーカー、一方の彼女は大柄でめっぽう明るく多少ノー天気なテキサス女、まるで異国人、水と油で当てが外れた。お蔭でラリーさんとはいつも英会話、3人でいるとナブ子さんとも英会話、ナブ子さんにもっと聞きたい事、話したいことが山ほどあったが、プロモーターとして日本語会話は慎み、会社にいるより余程フラストレーションが溜まった。 |
その2.ニューヨークから彼ら二人が来る3、4日前の昼間は準備と人集めで昼間は忙しく、夜アパートで寝る時間になると不安、不安、不安...どうしてこんな事に首を突っ込んでしまったのだろう。 |
もちろん二人共揃って、人の気持ちの分かる二人だった。 その3.4月の終わりに仕事でニューヨークへ行った時、丁度ナブ子さんがハーレムの教会で日曜礼拝でソロを取るとゆうので聞きに言った。実はその日曜礼拝の日に合わせて仕事日を調整したと言った方が正しい。 ハーレムのど真ん中、平和な大都会で穏やかな街並のアパートと住宅の中の小さな教会、とても親しみのあるミサ、集う信者も良い人ばかり、ナブ子さんがハーレムに住み続けている事を理解し、ハーレムが怖くない事を実感した。 もちろんここで亡き親友の冥福を綺麗になった心で祈った。
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駐妻のヒューストン日記 |
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第2回 *** 山田 裕子さん *** 当地に赴任してこの夏で2年になります。ヒューストンは私たち夫婦にとっては2度目の赴任地です。大好きなアメリカ!嬉しいな〜。でも今回はなにやら勝手が違う…そう、二人の子連れだったのです。現在5年生の長男はヒューストンで生まれたものの赤ん坊の時に帰国したので英語とは無縁。最初の1年は英語との格闘で必死。2年目の今は親の予想以上に英語の生活に浸透して学校も楽しんでいます。今回アメリカに来て子供の生活を目にしながら一昔前(?!)の駐在生活と比較して感じる事がしばしばあります。実は私自身も帰国子女であり、初めてのアメリカの土地を踏んだのは2歳の頃。最も印象に残っているのは赤い大きな自転車と牛乳たっぷりのアイスクリーム。一旦帰国して再度渡米した時は今の息子と同じ5年生。帰国子女という言葉も日本国内ではあまり耳にすることもなく、親は不安で一杯だったと思いますが子供の私はケッセラとマイペース。(今でもそうですが…)思い出す苦労と言えば魔の金曜日。そう、補習校の宿題の山でした。こればかりは駐在員子弟に課された試練であり、補習校に通う子供たちにエールを送ります。当時は1ドル360円の時代。(年齢がバレる?) 長い夏休みとは言え、飛行機代も高く一時帰国などは皆無でした。日本製は安かろう、悪かろうの時代。初めて買ってもらったテニスラケットがメイドインジャパンと分かり、小学生の私は生意気にも母親に日本製は嫌だとごねたのを覚えています。当然日本語放送の番組などなく、日本番組の唯一の楽しみは毎年2月末にマンハッタンの日本クラブで紅白歌合戦を映写機で見ることでした。土日の午前午後の2回ずつ。中学に入り少し日本の歌謡曲にも興味を持ち始めた私には「ウララ〜ウララ〜」とお色気たっぷりの山本リンダの姿が衝撃的でした。日本食品店はありましたが、賞味期限内の食品はめったになく、おせんべいがパリッとしていると逆に驚き。日本文化と接する機会の少ない中でふと窓の外に広がるハドソン川を見てこの先に日本と言う国があるのね…(実際は大西洋に合流)と、子供なりに感傷にふけったりもしました。その後続いた父親の赴任、そして主人との駐在を含めて60年代から2000年代に至るまでアメリカのそれぞれの年代を垣間見てきました。日本の経済成長に伴い駐在員数も増加、バブルは崩壊したとは言え物質的な豊かさと便利さは以前とは比較にならず。年代ごとに「日本」が身近になりました。おせんべいはパリッ、日本語放送もいつでも耳にすることが出来る今の子供たち。同時に、この期間は外地から日本を客観的に捉える事が出来る最高の機会。子供たちには皆、日本人の誇りを保ちつつ世界を舞台に羽ばたいてもらいたいと願います。そして今、その肥やしを与えてやるのは私たち親の役目かなと改めて感じる今日この頃です。 *** 次回は、入江圭子 さんです。*** |