実践を積むにつれ、文献研究の必要性が痛感されるようになり、苦手なフランス語と取り組まざるを得なくなっていった。最初は、ワインのダイレクトメールの内容が理解出来る程度で済んだが、次第にワイン・ガイドや雑誌のグルメ紀行で取り上げられるシャトー訪問などの記事も読みたくなった。その結果、私のフランス語は日常会話には全く役立たないが、醸造関係用語にはかなり強いという極めて偏ったものになっていった。

 こうして色々な産地や銘柄を次々に試飲していく傍ら書物を読んだりその世界の人から話を聞くのと平行して、これはと思ったワインをケース単位で買い付けていくことも欠かせなかった。ブルゴーニュ・ワインは元々生産量が圧倒的に少なく市場に流通する量も僅かなので、試飲して気に入ったものは直ちに生産者に問い合わせ、良い年のものが残っていれば拝み倒しても譲ってもらうこととしていた。そうしないと、二度と同じボトルに巡り会えない可能性が高い。ボルドーの場合はそういうことはないが、秋に収穫してワインに仕込まれたあとふた冬を樽で越し3年目の5月にビン詰めされて市場に出た時には、樽の段階で予約するのに比べ倍以上の値段になってしまうから、欲しいものは樽のうちに予約するに限る。

 フランス人は本当によく休暇を取るので我々もこれに習い、季節ごとの休暇はいつも主要なワイン産地を回るようにした。そうして、行く先々で主だったシャトーやワイン農家を訪ね、畑を見たり醸造蔵を案内してもらいながら、それぞれの作り手のワインにかける思いを聞くことが出来た。15年たった今でもそれらの畑のオーナーや醸造長の語った言葉は強く印象に残っている。シャトー・デュクリュー・ボーカユーのオーナーのボリー氏は、シャトーに住んで自らワイン生産を陣頭指揮している人であった。ボリー氏は、「毎年のワインの出来を100点満点で評価するような最近の風潮は、ワインを味わう楽しみを減じるばかりだ」と嘆いていた。その頃急速に信奉者を増やしていた米国人のワイン評論家ロバート・パーカー氏に対する痛烈な批判であり、心から共鳴した。

 そうした旅行中は、食事はもちろん出来るだけ星の多いレストランでとるようにし、今回の旅行では星12個食べられたなどと言いあって家内と成果を喜んだ。そうして、当時確か21あった3つ星のうち19のレストランに行くことが出来た。

 89年の7月、フランス革命200周年を記念してパリ中がお祝い気分で高揚しているなか、我々は、2年半のフランス勤務を終え、パリで生まれた三女も加えた3人の娘を連れて帰国した。夢中で買い集めた1200本のワインコレクションはパリ郊外の修道院のカーヴに残し、2005年に長女が成人する頃まで、ゆっくり熟成させることにした。

 

 

 

  − その35

− 私の自慢 その2 /FONT> 

コンチネンタル航空の日本往復無料航空券をゴルフ大会とじゃんけん大会で3回ゲット。

その心理学的・統計学的戦略の考察。(後編)。

佐藤 英明 (JPモルガン・チェース・バンク)

過去3回ゲットしたコンチネンタル航空の日本往復無料航空券、前回はじゃんけん大会における必勝法をお伝えした。今回は、じゃんけん大会より前に、ゴルフ大会において2回日本往復航空券をゲットした秘訣についてお伝えしたい。

一度はヒューストン、ダラス、エルパソ、マッカレンの、テキサスにおける4都市の日本商工会・日本人会の交流会、「4者交流会」におけるゴルフ大会。2001年度の会合で、ヒューストンのツアー18での開催であった。参加人数は約50人。この大会で、見事優勝。日本往復航空券をゲットした。

 

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