Yamatake America, Inc.(株式会社山武)橋本則男

 はて困った。上記「お題」をいただいて原稿を書くことになったが、さて何を書こう?おまけにバスケットの古傷が、膝後十字靭帯断裂という重症状態であったことが最近発覚し、先日手術して松葉杖付き状態。そうだ、今のNBAの紹介をしてもしょうがない(Yahoo Japan等に日本語で詳しく出ています)から、この傷の元となった自分のバスケット歴からどうプロバスケットと接点を持っていったかを書いてみることにする。

 バスケットは中学校の時から始め、高校卒業までまじめにやった。大学ではバスケットはやりたいが、素人とやるのはいやだ(生意気だな〜)。だからサークルなんか入りたくないし、そうかと言って理系の身分で体育会などできるわけがない。だから大学時代は高校のOBチームに参加して、地元浦和市の大会に参加していた。

 中学時代は市の大会でアップアップしていて大した成績ではなかった。市でベスト8が最高だった。一つ自慢は1試合最高得点が48点という記録。その後20年以上経つけどこの記録は抜けない。高校時代は1年生の時からチームが強かったのもあり、バリバリやって楽しかった(おかげで学業成績はメタメタ・・・)。県大会で5大会連続ベスト8(準々決勝ではいつも苦手チームとあたる運命)、個人としても県選抜チームまで入れた。

 大学時代のOBチームはバスケットの分類で「実業団」ではなく「一般」というカテゴリーの大会に参加していた。それでも会社のクラブチームも結構参加していて、それなりにレベルは高かった。一度市の大会で優勝して県大会にいったのだが、その市大会準決勝でとんでもないことが起こった。相手はある会社のクラブチームで外人選手が2人いた。このチームは準決勝まで順調に来たのだが、うちのチームと対戦し、残り時間わずかで敗色濃厚になった。それでもまだ若かった私は手を抜くことを知らず、一人の外人エースを執拗に徹底マーク。相手のドリブル中も体を密着せんばかり。するとその選手がボールを放り出して突然振り向き、顔面にパンチ!私は何が起こったかわからず、両方の鼻から鼻血を出して病院送りに!怒った後輩は飛び掛かるし、乱闘寸前!殴った外人は当然一発退場で、その後チームをクビ。それ依頼私は「外人にぶん殴られた男」として有名になってしまった。

 

 さて、自分の経歴の話が長くなってしまったがご勘弁を。この間、プロバスケットの試合なんて見たことがなかった。当時のメディアにのるほどバスケットはポピュラーではなかったし、それよりも自分にとってバスケットは「やるもの」であって、決して「観るもの」ではないと、「他人のプレーなど観てどうすんだ!」などと鼻っ柱の強い思いの方が強かったと覚えている。

 そんなある日、テレビでたまたま「ハーレム・グローブ・トロッターズ」の試合を見る機会があった。いや〜びっくりした!そしてすごく面白かった。このチームはアメリカのNBAではなく別のプロチーム。「ショー・バスケット」、つまり試合を見せてお客さんを楽しませるというプロバスケット。黒人のチームが白人のチームをとんでもないスーパープレーでやっつけるというストーリーで試合が進む。とんでもないプレーというのは、敵の股の下を潜ってドリブル、客席からハンドバッグを借りて、フェイントの替わりにそれを敵に持たせてシュートなど、敵というよりも漫才でいう相方のコンビネーションで「魅せる」。社会人になってから代々木にこのチームが来たので観に行った。ショーでもプレーヤーの実力は高く、ダンクシュートは当然、たまにまじめなプレーも見せる。生の観戦は迫力あり、また大いに笑えた。アメリカでも当然観られると思うのでお勧め。

 少々自分の話に戻る。会社に入ってからは山武寒川工場(現在の湘南工場)のチームに入り、一般の部類ではあるが、湘南実業団リーグ、県西大会等、年間で40試合位こなしていた。そしてしばらくして独身寮を追い出されて、アパートで衛星放送が見られるようになってからNBAを知り、観始めるようになった。今になって考えると、観るようになった背景は、だんだん自分のプレーに衰えを感じたのだと思う。観ることで満足しようなんて考えていたのだろう。 

 

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