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江の島をバックに |
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こんにちは、今年6月末に帰国しました野口秀子です。Houstonには、夫は1998年5月、私と娘二人は7月に来ましたので、約5年間滞在したことになります。
帰国する日、飛行機がヒューストンを離陸した瞬間に思ったこと 離陸する瞬間に思っていた事は、「ありがとうHouston」でした。周りの方々に恵まれ、本当に充実した5年間でした。飛行機は万一の事もあるので、今のうちにと、「パパ、楽しい5年間をどうも有難う。」と珍しく言葉にしました。夫も珍しく、茶化さず、「(東京三菱の)宮地さんではないけれど、Houstonに来て本当に良かったね。」と、返してくるので、なんだかジーンときてしまいました。子供達は窓からじっと離れ行くHoustonを眺めていました。「もっとHoustonにいたかったよ」、と二人のうしろ姿が語っていました。帰国予定を告げた夜、二人に大泣きに泣かれた事を思い出し、目頭が熱くなりました。私も窓から名残を惜しみたかったのですが、いつもキタローになるので、(ゲッゲッ、ゲゲゲのゲーです)目をギューと瞑って涙をこらえました。
飛行機が日本に着陸した瞬間に思ったこと 成田にドンと着陸した時は、寝ていたのにベッドから落ちたときの感覚が蘇りました(Houston第二日目の夜、一度だけ落ちた事があります)。楽しかった夢から急に現実に引き戻されてしまったような感じです。「ああ、日本だ。本当に帰って来てしまった。」
帰国するときに最も苦労したこと 帰国の際に一番大変だったのは、猫のSnowyを連れて帰る事でした。動物を搭乗させてくれる航空会社はHoustonからはNorthwestだけでした。おまけに、一機に 付き一匹か二匹という狭き門です。夫はSnowyのために正式な辞令が出る前なのに、家族全員の航空券を購入しました。猫ちゃん用の切符は300ドルぐらいでした。 |
まさに“お猫様”でした。 書類の用意が、また煩雑でした。獣医に証明書を書いてもらいAustinの事務所に郵送後、受理書を返送してもらいます。そして、10日以内に出国しなくてはなりません。“猫”なのに、“狂犬病”の注射を打つのは不思議です。日付けの制約が非常に厳しかったので、その辺りに詳しいヤマト運輸さんに代行をお願いしました。さらに、夫は日米の検疫事務所に電話で確認をとりました。出発の前の晩から水もエサも禁止です。Snowyは出発の朝、出すものを出して、お利口でした。機内では私達の足元のCage内でいい子にしていまでした。二週間の検疫中、成田から数日おきに様子を知らせる電話がありました。最後にSnowyの写真入りの手紙には、“Snowyちゃんは、今まで面倒をみた中で一番かわいい猫です。”と手書きで書かれていたので、我が家にだけ特別に送ってくれたと思っていたのに、後で、全員に郵送されると言うことが分りました。娘達の友達が遊びにくると、“さすがアメリカの猫だね、目が青いね。”と、大人気です。反抗期の子供達と親子喧嘩の毎日ですが、親も子も猫の事は”猫かわいがり“しています。生きたアメリカのお土産です。
猫のSnowy
missする事は、充実したテニス生活を始めとしてたくさんありますが、やはり”lady firstの精神“と”ユーモアのセンス“でしょうか。(子供達は週に3回、私は4回テニスのレッスンを受けているのにどうしてmissしている事になるんだ? 僕なんか出張でほとんど受けられないんだぞ!と夫からクレームがきています。)Wilchester小学校の事務室に行ったとき5歳ぐらいの男の子が私の為に体全体でドアを開けてくれたのには、感動しました。こんな幼いうちから”lady first”が身 |
についている!日本では、悲しいけれど、そんな風景には絶対にお目にかかれません。Sense of humorはアメリカのvalueなのではないかと思います。PTAの総会でもスピーチする人は、聴衆を笑わせた者勝ちです。品の良いjokeが本当にみんな上手でした。
もう一度ヒューストンに駐在できるなら、、、 もう一度駐在するならば、旦さんのところで手芸を習って,綺麗に片付いた美しい家にお友達を招待してアフタヌーンテイーを楽しむという優雅な生活に憧れますが、きっと、やはり、長期のスポーツ合宿のような生活をしてしまうと思います。 商工会ソフトボール大会、地域のスイムチーム、補習校ソフトボール大会、補習校運動会(綱引きを忘れてはいけません)、めぐみのバレーボール、ゆかりのバスケットボール、一年を通じての家族みんなのテニス。軟弱な文化部出身の私なのに、こんな生活になるとは、意外な展開でした。帰国してみると、アメリカはスポーツ天国だったと、つくづく感じます。施設も人的資源もチャンスも豊富です。スポーツを通じて、地域に溶け込み、家族の連帯を強める事ができたと思います。夫は中高と軟式野球部だったのですが、本人いわく、“チームで一番下手な選手だった。”そうで、(これは謙遜だと信じていますよ!?)”補習校のコーチをしているなんて、恥ずかしくて、かつてのチームメイトに言えないな“と言っていました。“野口コーチは甲子園にでたらしい。”と言うありがたいデマをいただいた事もありました。 帰国が決まった子が挨拶しに来てくれたこともあります。“コーチ、どうも有難うございました。
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